「国指定史跡 宗麟原供養塔」
(1578)年11月12日に,薩摩藩の島津氏と豊後藩の大友氏の間で、
繰り広げられた高城合戦の戦没者を供養するために、
島津軍武将・山田新介有信が天正15年に
建立したもです。
供養搭の高さは3,5m 1辺24mの供養の搭の
一部が削られて建てられているが、
元々の場所は南側に
建てられていたと
考えられます。
平成15年頃の供養搭周辺の発掘調査では、
供養搭の周辺に24m四方の板で作った
堀の痕がみつかり、供養搭の南には、
溝で囲った12m四方の斎場が
見つかりました。
なぜ供養搭の位置が変わったかと言うと
これは、明治時代初期の廃仏毀釈で、
供養搭が東側の地蔵谷に捨てられ、
大正時代頃に谷底から持って上がってきて
現在の位置に備え直したためです。
今でも毎年11月12日に供養祭が
行われます。
文化財名・・・・・・・・・国指定史跡 宗麟原供養塔
日 時・・・・2014年11月12日
場 所・・・・宗麟原供養塔(川南町)
2014-11-04 13:23
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